2.22.2009

秩父の三猿は

ポジティブでいい!

2.10.2009

ベトナム語でありがとうはカモン。お礼を言ったのにみんながこちらへ来てしまう・・

昨年末から正月休みにかけて、ぴい太と私はベトナムに行ってまいりました。
わたしにとって正月海外といえばハワイでは?と思っていたのですが、(多くの芸能人が行くから)ベトナムもなかなか楽しかったです。

ハノイに着いたのは夜中だったのですが、赤信号無視、交通ルール無視の車でたっぷり冷や汗をかくところからベトナム洗礼を受けました。次の日にはけろっとして、行き交うバイクや車をものともせず歩けました。夢だったシルクタフタのドレスを2着も注文して、大晦日ナイトに備えることもできました。

ハロン湾や、最後の宮殿があったフエなど興味深い建物や遺跡をみることができました。この旅行の中で、ベルギー人カップルやイケメンイギリスガイ4人組、それに香港の人たちとの出会いが貴重に感じてなりません。旅行に行かなきゃ、そして話しかけなきゃ、地球のあっちこっちで知らないで暮らしてたかと思うと運命のようです。

ベトナムは料理もおいしいし、人もやさしいし大好きな国になりました。だけどいいところばっかりでは当然ありません。

ある日、遺跡を見に行く道でとても貧しい地区が近くにありました。子供は悪魔のようにお金をせびるし、手足がぼうっきれのようになった赤ん坊をつれた女の人にすがりつかれたり。ぴい太には、「彼女は子供を利用して物乞いをしているんだから、無視しなきゃだめだ」といわれたのですが、テレビや写真で見るのとはまったく違いました。

母親はそうでもないのに子供だけがやせ細り・・

その母親の顔をひっぱたきたくなりました。涙がでました。最後にはぴい太がお金をあげました。私もぴい太も、そのお金がダイレクトに子供の食料になるとは思えませんでしたが、子供をみるとどうしてもだめなんです。二人ともタクシーで黙り込んじゃいました。
理性と感情がどうしても結びつかない出来事でした。ショックでした。

歴史的にも、厳しい環境を生き抜いたことが、遺跡やあちこちで見る弾丸跡で認識されます。
近代化が急速に進んでいますが、若者たちの希望というのは触ると湯気が出そうなくらいです。

まだまだ大変な状況にはありますがこういう若者たちが国を引っ張っていくのだろうと、ちょっとうらやましくもなりました。