4.27.2011

Translate it to PROPER English!

TAFEに通い始めたのが遅かったので(2月スタートなのに、3月末から参加)、みんなのやってきた宿題を週遅れでやることに。
すでに提出済ですが、みなさんと共有。

お題は・・・「この(オーストラリア独特の)文章を正しい英語に翻訳しなさい。」


              Well I invited a few mates over to a barbie yesterday arvo. There was a lot of tucker. We ate bangers and mash and of course we sunk a few stubbies. Of course everyone was pissed off their head. Anyway this bloke comes over, he was a real drongo, anyway, he starts chatting me up. My boyfriend comes over and spits the dummy. Next thing I know this guy is flat out on the ground. Then his sheila comes out and just ignores him lying on the ground. She was really pissed. She then ate a banger from the barbie. I don’t think they were cooked properly. She suddenly went green and runs to the dunnie to spew. Finally her boyfriend wakes up and downs a couple more tinnies like nothing had happened.

太文字がオーストラリア独特のスラングです。
ぴい太に見せたら大笑いしてました。オフィスワーク等で使われることはなく、使う必要がないのですが、すくなくとも相手の言っていることはわかるようにならないといけない。。。のかもしれません。

4.26.2011

オーストラリア移住手続き

オーストラリアに移住するにあたって、いろんな手続きを行いました。




1.MedicareとPrivate Insuranceの契約
Medicare は日本の健康保険のようなものです。が、歯医者や特別な治療には使えません。
そこでPrivate Insuranceの契約をしました。
医療関係の手続きはまだよくわかりません・・・。(日本だと一つの病院で済むことが、こちらでは違います・・)

2.自動車免許
私はまだ永住者ビザではないので、自動車免許を取るには半年滞在した後でなければいけません。国際免許も日本で取ってきたのですが、オーストラリアではもう一つ手段があります。
日本の自動車免許をCRCという政府の翻訳サービス機関に持っていき翻訳書類を作ってもらいます。
その翻訳書類がこちらの自動車免許の代わりになります。
バスに乗って、CITYまで行って初めて一人で手続きしました(みんなできることなのに大げさ。だけど緊張したのです)

3.銀行口座とクレジットカード
ぴい太と連名にしてもらったので、すぐできました。
初めて気が付きましたが、日本の銀行制度は家族にとって面倒なものですね。
こちらではジョイントアカウントで夫婦連名で口座を持てますが、日本では一人の名前でしか持てません。
HPで調べたら、旦那さんが亡くなったあとに口座を凍結されて、きちんとした相続手続きが済むまで生活費をおろせないといった問題があるようです。

4.納税者番号取得
(インターネットでやろうとしたら何回もサーバがこけるので、結局郵便で取得しました。)
これがないと、個人の銀行口座も持てないです。また、仕事を持つとこれを雇い主に報告しなければいけないとのこと。
なくても働けるけど、最高税率48%の所得税を払う必要があるとのことです。
どこに行っても、納税からは逃げられないですね。

5.在留届
日本領事館に在留届を出しました。(インターネットでできました)
今回の日本をはじめ、世界各地で起きている災害を考えると、自分だけではなくて家族を安心させるためにも、日本政府が安否をすぐに調べられるようにしておくべきだなぁとおもいました。

まだまだ、いろんなことが出てくるんだろうと思いますが、日本に来る外国人が「日本は外国人に冷たい」というのがよくわかります。

こちらではまだ手続きでいやな思いをしたことがないですし、ビザがあればオーストラリア人と対等に扱ってもらえます。

まだまだ勉強しなければいけないことがあるかと思いますが、徐々に慣れていこうと思います。

4.11.2011

2011年3月11日 オーストラリア移住と東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日


東北地方太平洋沖地震
被害にあわれた方、心よりお見舞い申し上げます。

今でも困難な状況が続いていると聞き、心を痛めています。



この誰にも忘れられない日は私の人生における転換日でもありました。

ちょうどその日の朝に、シドニーに引っ越したのです。

オーストラリアに到着していろいろやっていたら、「お前ら今どこだ!?」と電話なりっぱなしになりました。まだ私たちが日本にいると思っていた、ぴい太のお友達からでした。

その電話で地震を知った私たちは、実感がわかないまま家にもどり、テレビで津波を見たのです。



しばらく、日本にまったく電話がつながらず、TWITTERを見て情報を集めているような状況でした。

3~4日たって妹につながった時には、妹のなにか緊張して震える声をきいていたら、どこかぷつんと切れた状態で涙がどっとでました。

妹の旦那のご両親は仙台です。どれだけ辛い思いをしているでしょうか。



シドニーに来て、いろんな人にラッキーだったねと言われても罪悪感だけの日々が続きました。



しかし、このめそめそくよくよしている私とは対照的に、冷静に立て直しを図る国民の姿をニュースで見るたびに、自分の生活をまず確立するのだということを考えるようになりました。

何もできないのであればまずは心配かけないようにする、というのが大事なのだと。



先週からTAFEというこちらの国立専門学校に英語の授業を受けるために通うことにしました。

日本人は私だけ。そして日本人だというだけで、タイの女性が号泣して抱きしめてくれました。ちょっと危なかったけど泣きませんでした。

これからは明るく、そして強い人間になりたいからです。

判断力があり、正しい行動ができる強い人間に。